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執筆者の写真ひろゆき 大石

認知症を怖がらない

昨日は、認知症の症状を紹介させて頂きました。

すこし堅苦しい文章になりましたが、お病気のお話なので、お許しください。

介護事業を運営してきた私の体感ですが、90代の70%以上は、

なんらかの認知症の症状が出ているように思えますし、

弊社サービス付き高齢者向け住宅にご入居いただく方は、

ほぼ認知症の症状をお持ちです。

これを認知症の症状と考えるか、年相応と考えるかは、

介護会社次第ですが、私ども富士ヶ丘サービスは、「年相応」、

歳をとれば、物忘れや、感情のコントロールが出来なかったり、

60代、70代とは異なる状況になることはよくあることだと考えています。


食事を食べたか、食べなかったかわからなくなることも、

年相応ですし、40代の私も、瞬時に「昨日のお昼ご飯を思い出せ」と言われても、

思い出せないこともあるように、忘れっぽくなることも年相応です。


だから、弊社のようなサービス付き高齢者向け住宅があり、

職員が、食事を食べたかどうか、お伝えすることができるのです。

もしこれが家族だったら、何度も同じ食事の話を聞かれたら、

やっきりこいちゃう(遠州弁)でしょう。


「やっきりこいちゃう」は、嫌になってしまうという意味です。

なら介護職員は、「やっきりこかないか」というと人間ですので、

そういうことを心の中で思うこともあるでしょう。

全く思わない、そう考えることはないとは言い切れませんが、

それでもプロ、プロフェッショナルです。

顔には出さず、高齢者を傷つけない、やさしい言葉で、返答することができるでしょう。

ならならば、私たちはお仕事で、させて頂いているからです。

少し話が変わりますが、人が最後と認知症の関連について、下記のようなお話があります。


●終末期になぜ認知症に? 死の恐怖から自分を守るため

私たちは誰しも、いつかは死を迎える存在です。

しかし死と隣り合わせの状況下で、人は大きな不安や恐怖を抱えがちです。

実は、終末期のがん患者や高齢者の多くが、

意識混濁や認知症のような状態に陥ることが知られています。

これは一体なぜでしょうか?最近の研究では、

こうした現象は脳が「死の恐怖から自分を守るためのメカニズム」として

機能している可能性が示唆されています。


●がん患者の8割が終末期に意識混濁

カナダのケアラバスホスピスで行われた研究によると、

終末期がん患者の約8割が意識混濁を経験したとの結果が出ています。

この意識混濁は、脳内の情報伝達に関わる神経伝達物質のバランスが崩れた結果、

正常に認知・判断能力を発揮できなくなる状態だと考えられています。

研究者によると、がんの痛みや症状の悪化がこのプロセスを早めている

可能性があるといいます。しかしその一方で、

「意識混濁が進むにつれ、患者は徐々に死に対する恐怖から開放されていった」

とも報告されています。


●高齢者の過半数が最期に意識変容

自然死を迎える高齢者でも、最期には意識混濁や認知症様状が

多く見られることが知られています。

アメリカの老年学的研究によると、

終末期せん妄」 と呼ばれる状態に陥る人が全体の約50~80%に上るそうです。

これは物事の判断力低下や時間・場所の見当識障害が特徴的で、

一過性のエピソードを反復する傾向にあるとのこと。


この背景には脳内神経伝達物質の変化に加え、

臓器の機能低下に伴う炎症反応の影響も考えられています。

そして当然のことながら、死の不安定な恐怖感情がこの「意識の変容」を

加速させている可能性が示唆されています。

●自分を死から守る「防衛機制」の一種

以上の研究事例から、終末期の意識混濁・認知症状が単なる症状の副作用ではなく、

むしろ脳のひとつの防衛機制として位置づけられることがわかってきました。

脳神経科学者の一部には、これを「情動の切り替え」と表現する向きもあります。

つまり、混乱した意識下での恐怖心はネガティブすぎるため、

脳がそこから自分自身を守る働きを自然と始める、という仕組みなのです。


●結果としての「穏やかな最期」

私たちにはこの世を去るすべは決まっているといえるでしょう。

その過程で、脳が主体的に恐怖から自己を防衛することで、

多くの人がある程度穏やかな最期を迎えられているのかも知れません。

確かに、がんなどの身体的苦痛は個人差が大きく、

すべてが穏やかという訳でもありません。

しかし、少なくとも精神的な苦しみはこの仕組みによって

ある程度和らげられていると考えられるのです。


認知症そのものを前向きに捉えることは難しいかも知れませんが、

自然な生体の防衛プロセスと理解することで、

多少なりとも納得できるのではないでしょうか。

最期まで希望を持ちながら、大切な人との時間を過ごすことができれば幸いです。


●おわりに

生と死は決して切り離せないものです。

いかなる環境下でも、生命体は生き延びることを選択します。

認知症の進行こそが、脳が死の恐怖から自己を守るための防衛反応なのかも知れません。

そこには生命の執着心すら感じられてなりません。

できることなら誰しもが笑顔で最期を迎えたいものでしょう。

そのために今できることを惜しみなく全力で生きることが大切なのかも知れません。


以上、認知症を怖がらないをブログにまとめてみました。


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