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執筆者の写真ひろゆき 大石

私の介護保険の原点

介護保険が開始したのは、2000(平成12)年4月。

もう24年が経った制度になりました。

介護保険が始まる以前は、措置という時代でしたが、

私はかかわっておらず、措置について語ることはできません。

お役所が、介護サービスを差配していたんだろうなって程度です。


私が介護会社に転職したのが2004年。

広い意味で介護業界に足を踏み入れたのが、2003年でしたから、

介護保険の黎明期をちょっとだけ聞きかじって、体感したのが私です。


そう丁度、ヘルパー2級の資格と取得したのが、2002年秋ごろでしたので、

介護保険の理念は、ばっちり頭に入り、そして感動を覚え、

介護保険の広まりとともに、社会人生活を送ってきました。


介護保険は、「介護の社会化」という崇高な理念をもった制度でした。

あえて、過去形、「でした」と書きますが、3年に1回の改正につぐ改正で、

当初の理念はなくなっしまったようにも見えます。


当初は、女性の社会進出に伴い、

「介護はお嫁さんがやるべきだ、介護は奥さんがやるべきだ」

という考えをやめて、社会全体で介護を負担していこうという考えでした。

保険によって、サービス利用額の全額を支出しなくても、

一部の負担金を負担しさえすれば、介護サービスを受けることができるという制度でした。


しかし、このすばらしい、崇高な理念は、財源不足を理由に、

受けられるサービスは減らされ、負担するお金は増えています。

今年2024年、また改正が予定されていますが、大きな方向性としては、

また使いづらい、負担金が増える方向に動いているような気がしてなりません。


局所的には、サービスの充実・負担金の軽減などがある改定もありますが、

大局的には、自然増を少しでも減らすように、財源を補えるような改正になっています。



元に戻ると、「介護の社会化」、広い意味では「福祉の社会化」。

例えば、保育も全部と言わなくても、

その一部を社会全体で負担できる仕組みがあったら、

少子化を防ぐことができると思います。


同様に、介護の社会化が、当初の理念通り、

介護を社会全体で分散できる仕組みがあったら、

その労力が、育児に向けられたら、やっぱり少子化を

軽減することができるのではないかと妄想しています。


でも、現実は、「介護の社会化」が否定され、

自分でできることは自分でやる「自助(じじょ)」が声高々に叫ばれ、

自分でできないことは、まわりの皆さんと助け合う

「共助(きょうじょ)」でやり過ごしましょうという号令が

かかっているように思えます。


それでもそれでも、できないことは「公助(こうじょ)」。

介護保険などの国の制度で救われるようにしましょうっと、

介護保険が2段階も後退してしまったように思います。


介護保険の改正を迎える度に、冗談のように、ちょっと真剣に、

「もう介護保険はやめて、措置の時代にもどれば」っていうお話をします。

私自身、措置の時代は知りませんが、高齢者や高齢者家族が、

積極的にサービスを取捨選択し、高齢者の生活を少しでも良くしている

現状はあまりありません。


「ケアマネージャーに指定されたサービスを、

絞り込まれた事業者から提供を受ける」。


一見、悪いことのように思えますが、高齢者が高齢者家族が、

介護の知識を増やし、積極的な選択をしていないからこそ、

言われるがままの、サービスになってしまいます。


本当なら、「求めよ、さらば与えられん」であるべきものなのに、

「求めない」から、与えられないのです。だったら、措置で、いいのではないかと。


もちろん、私の本音は、高齢者や高齢者家族に、

様々な選択肢から、ご本人の生活の向上を目指して、選んでほしい、

選ぶことにメリットもデメリットも感じてほしいです。

しかし、金銭的なこと、人口減少に伴うサービス量の低下。

本当に選ぶことが難しくなっているのも現実です。


元の介護保険の形に戻ることは難しいですが、

別の形で、誰もが納得する形の介護を2024年は模索していきたいものです。




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